大蓮寺縁記


01efa14470840d9cf96280229311d16a0733578c67大蓮寺は、天正十一年(一五八三)加賀藩祖前田利家公荒子七人衆の一人、小塚淡路守秀正が利家公に従って金沢城入城後に、七尾の浄土宗西光寺住職であった衍蓮社広誉怒白上人を招請し、御馬屋町(現、柿木畠)に建立されたが、後に当地が御用地になった為、野町に替地を拝領して現在に至る。

山号の宝池山は、当山前道路から見て寺地が下がっていることから、それを池にたとえ、阿弥陀仏の教えを宝の如く満たす池と表したと伝わっている。

当山の最初の外護者、小塚秀正は利家公・利長公に仕え、大坂夏の陣には、金沢城代を務めた人物であった。同時期から当山を外護していた人持組石野家は代々加賀藩に仕え、有力檀越として当山に帰依し、現在も続いている。

現在の本堂は文化十二年(一八一五)如来寺の第十八世であった、走蓮社入誉上人が、当山の第十五世として迎えられ再建された。入誉上人は、加賀藩前田家からも一目おかれた名僧であり、再建にあたり豪姫菩提の縁で前田家より松の木五十本を寄進された。

当山は、平成六年墓所整備を行い、西門を再建し、門前には豪姫のレリーフを開眼。同時に墓所内に無縁塔を建立。この無縁塔には、身の丈五尺、眉間に紫水晶を埋めた地蔵尊がまつられている。