豪姫と秀家公


豪姫は、加賀藩初代藩主前田利家公と正室お松の方の四女として、天正二年(一五七四)この世に生まれる。生後間もなく利家公が親しくしていた人物で、後に天下統一を目指し、関白の座まで
登り詰めた豊臣秀吉と正室寧々の養女となる。秀吉は豪姫を溺愛し、「もし豪が男であったなら関白にしたものを」と寧々に綴っている。

秀吉長浜城時代、宇喜多直家の嫡子八郎(後に秀家)八才があずかりの身となるが、その後豪姫と結ばれ、二男二女をもうけることになる。秀家は秀吉からの信頼が厚く、成人後には備前、播磨、美作六千万石の太守として、また、前田利家、徳川家康、毛利輝元、上杉景勝らと共に五大老の一員として豊臣政権を支えた。秀家は、慶長五年(一六〇〇)天下分けの合戦「関ヶ原」で豊臣家の恩義に報いるため西軍に加わるが、家康率いる東軍に敗れ、慶長十一年二人の男子、秀高、秀継と共に八丈島へ流刑となった。

豪姫は関ヶ原の合戦後、二人の娘を伴い、兄利長を頼って金沢西町に移り住み余生を送った。

寛永十一年(一六三四)豪姫は、金沢城鶴の丸でその数奇な運命を閉じる。

戒名 樹正院殿命室寿晃大禅定尼

IMG_20150608_0002豪姫の墓は、金沢野田山墓地、利家公とお松の方に近くにひっそりと建ち、この五輪塔は、現在豪姫菩提寺である大蓮寺がお守りしている。

八丈島に流された秀家は、剃髪して久福と号し余生を暮らす。明暦元年(一六五五)八三才で没する。

戒名 尊光院殿秀月久福大居士

菩提寺は、八丈島中道にある浄土宗宗福寺で、墓は八丈島稲葉墓地にある。