大蓮寺の歴史を
紡いだ人々
小塚秀正と入誉上人
大蓮寺の誕生と
復興の立役者
小塚秀正と入誉上人
大蓮寺の誕生と
復興の立役者
高い地位にあった
小塚淡路守秀正。
創建当初から大きな力を持っていたのが、小塚淡路守秀正という人物。小塚家は、江戸時代初期に加賀藩が成立したときには、9,000石の家臣でした。
小塚家が大蓮寺を守ってきた役割を、引き継いだのが石野家です。石野家は豊臣家とも縁があり、加賀藩では人持組と呼ばれる身分でした。小塚家から大檀越(おおだんな)という役職を引き継ぎました。大檀越とは、お寺の中で一番大きな檀家のことで、お寺を支える責任者です。豪姫の供養塔の裏側にある大きな墓碑は、石野家の歴代の墓です。
入誉上人による
大蓮寺本堂の再建。
現在の大蓮寺の本堂は、一度類焼で焼失し、その後、再建されました。このとき、大蓮寺の住職だったのは、走連社入誉上人という人物でした。入誉上人は、もともとは如来寺というお寺の住職で、第十八世でしたが、大蓮寺を再建するため第十五世住職となりました。
本堂を再建するときには、前田家から松の木50本を寄付してもらいました。この松の木は、豪姫菩提の縁で贈られたものです。
1994年(平成6年)には、墓所整備を行い、西門を再建しました。西門前には豪姫のレリーフを開眼しました。レリーフとは平らな面に彫刻を施したもの。このレリーフは豪姫の姿を表しています。
同時に墓所内に無縁塔を建立しました。この無縁塔には、身の丈五尺、眉間に紫水晶を埋めた地蔵尊がまつられています。
平成8年5月21日には、豪姫が亡くなってから360回忌の法要が行われました。この法要では、八丈島から夫・宇喜多秀家の子孫もお参りに来られました。